小松菜の発祥と歴史
小松菜はアブラナ科アブラナ属の植物で、元となった野菜が中国から日本にきたのは奈良時代から平安時代ごろだと言われています。原産地は諸説ありますが、原種と見られる野菜は南ヨーロッパ地中海沿岸、また北欧のスカンジナビア地域などで見つかっています。
中国から入った茎立菜(くきたちな)というカブの一種が品種改良され、小松菜ができたことが発祥とされています。栽培は東京都江戸川区の葛西、また小松川地域で行われていたことから、もともとは「葛西菜」と呼ばれていたようです。1719年、八代将軍徳川吉宗が鷹狩の際にこの地を訪れ、食事をする場所として香取神社が選ばれました。当時の神主、亀井和泉守永範が接待したのですが、特別な食材もなく、餅の入ったすまし汁に葛西菜を彩りとして添え、献上しました。それを食べた吉宗将軍は葛西菜を大変気に入り、神社の地名にちなんで小松菜と命名したということです。
長い年月を経た現在でも、小松菜は江戸川区小松川地区の特産野菜になっています。江戸時代に栽培の始まった小松菜は関東地方で古くから栽培され、食されてきました。当時の書物にも記されていることから、その頃から関東地方で親しまれていた野菜だと考えられています。その後、小松菜は全国各地に広がり、その土地独自の名前で呼ばれる様々な品種が出てきました。
各地に広がる小松菜の仲間
女池菜(めいけな)は、新潟市の鳥屋野地区女地区で栽培されている伝統野菜です。小松菜の一種なので、新潟小松菜とも言われています。冬に雪の下で栽培し、12月から4月ごろまで出荷されます。寒さに耐えるため、茎や葉に糖分を蓄えることから、甘味と独特の香り、そしてぬめりが特徴です。厳冬に栽培されるため、害虫病の被害が少なく、農薬をほとんど使わず栽培されており、安心して食べられる葉野菜です。生産量が少なく、新潟市近郊でほぼ消費されています。
大崎菜(おおさきな)は、お米のコシヒカリの名産地でもある南魚沼市の大崎地区などで、300年以上にわたって生産されている伝統野菜です。南魚沼の水と土、厳しい寒さが大崎菜の独特のほろ苦さと香りを育て、特産品として知られています。野菜に「とう」が立つ、というとあまり良いイメージはないかもしれませんが、大崎菜はこの「とう」が一番の特徴で、初春にとれる「とう」は甘味がさらに強く、特においしいと言われています。
信夫冬菜(しのぶふゆな)・信夫菜(しのぶな)は、福島県で栽培されている伝統野菜です。見た目は小松菜に似ており、葉野菜なのに甘く、まろやかな味わいが特徴の野菜です。戦後の食糧難では、冬の葉物と言えばほうれん草や小松菜よりも、この信夫冬菜が多く出回っていたと言われていますが、現在は生産農家も少なくなり、市場に出回ることが少ない貴重な野菜となりました。
全国に広がり、各地で小松菜やその仲間が栽培されています。中でも、古くから栽培を始めていた関東地区、首都圏近郊では現在もなお、栽培が盛んに行われているのです。